小さな子供のうちに「視野」や「価値観」のプレゼントを!
少し前のことになりますが、
各地で成人祭が行われましたよね。
僕には、もうだいぶ前のハナシになるので、
どんな感じだったかもあまり覚えていないわけですが。。
でも晴れ着姿の若者たちを見ると希望を感じます。
まだ着慣れていない感じがまたイイですね〜
成人というとあなたは、
何を思い浮かべますでしょうか??
大切な人生の節目でしょうか。。
それとも恩師や親に感謝する機会でしょうか。。
人それぞれいろんなイメージがあることだと思います。
そんな中でも僕は、
成人になったらそれまでとは違って、
対等に接することが必要になる年齢なのかな。。
なんて思ったりします。
成人になるといろんな権利が与えられて、
社会人としても責任を持った立場になるのですから、
一つの見解としては当てはまるだろうと思います。
ですが僕は、成人だからといって接する態度を
変えるべきなのかな。。なんて思ったりするわけです。
いや、もちろん、
対等に接するべきではないということではありません。
逆に、必ずしも成人からをそのように扱うことの必要があるか?
と疑問に思っているわけです。
僕は少し大方の意見とは違った見方をしていると思うので、
普段から意識してることを述べていきたいと思います。
それは、年下の人あるいは子供でも
対等に話したり接することを心がけているということです。
人によっては、子供だから。。と
何をしても許してしまう大人を見かけたりします。
もちろん、赦しの心で接するのは良いとは思います。
ですが、子供が自分で思ったとおりに行動して、
過ちを犯してしまった場合はどうでしょう。
その何でも許してしまったという行動が
良かったと言えるでしょうか。。
いや、そうとは言えないのは明白ですよね。
そういったことを打開するため、
小さいうちから対等に話す機会を
持ってあげることが大事だと考えるわけです。
たとえ小さな子供でも
立派な1人の人間だと思うからこそです。
当たり前ですが、子供は幼い。。ですよね。
幼いがゆえに自分で何かを判断するというのは困難ってモノです。
ですが、それが
ぞんざいに扱っていいという理由にはならないと思ってます。
子供には子供なりの主張があるだろうし、
思いや意見は必ずあるはずだと考えているのです。
子供自身がそれを上手に表現できて、伝えることができるか
どうかということはここでは別問題としておきます。
何かしらの想いがあるはずなのだから、
僕はまずはそれを聴いてみようという姿勢を
見せるようにしています。
そうすると何か話します。
そして、それを親身になって聞くのです。
聞くだけではなく、その上で自分の意見を話すようにしています。
それで会話になるのならなったで、会話を楽しむのが良いだろうし、
隔たりがありすぎると、会話にもならないことも少なくはないです。
そんな場合でもそういった作用をしたことによって、
相手に何かを与えることになっていると考えるようにしています。
なぜなら、子供には子供の世界観というものがありますよね。
ですが、そこにはそれまで考えたことのないような
意見や感想が吹き込まれると視野が広がるってものです。
今までに持っていなかった視野を持てるようになるのだから、
得るものは大きいはずなんです。
それを受け入れるかどうかは別です。
それまでにない意見などを提示したということに意味を感じています。
無意識にもそのように感じてくれたら、
僕はそこには何かしらの意義があるはずだと思えるわけですね。
そのように思えるし、こちらもそれを意図しているのです。
なぜこんなことを考えるようになったのかといえば、
自分自身もいろんな人の意見や感想を聴く機会を持つことで、
かなり視野を広げるという体験ができたと思えるからです。
もちろんこれを読んでいる大方の人は、
そりゃ誰でもそうだろう。。
と言えるほどの体験はしているだろうとは思います。
ですが、
だからこそ改めて再認識していただける
きっかけになってくれたら嬉しいと思います。
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